「がん」が再発・転移し、胸水がたまり、肺にも多発転移があったおばあさま。
在宅酸素療法を続けながら、モルヒネの内服も適宜使い、ご自宅で療養されていた。
ご主人とお二人暮らし。
訪問すると、まずご主人が迎えてくださり、ご本人のお部屋に伺うと、ベッド上で正座され、いつも穏やかな表情でこちらに労いの言葉をかけてくださった。
どこまで力になれたか分からないけれど、訪問のたびに少しむくんだ足をさすりながら、気になる症状についてのアドバイスをお伝えしていた。
そのうち、仙骨(お尻の骨)の痛みが強まってきた。
以前から仙骨への転移は指摘されており、ご本人も「そこが大きくなってきたのかな」と話されていた。
鎮痛薬を調整しつつ、もともと通院されていた病院での受診や放射線治療も提案した。何度か話し合ったのち、「病院に相談してみよう」となり、話はトントン拍子に進み、後日入院。CT精査のうえで、疼痛緩和を目的とした放射線治療を検討することになった。
入院から1週間ほどして、その病院を訪れる機会があった。
CTでは、右肺は多量の胸水でつぶれ、左肺には無数の転移が広がっていた。
―― きっと、とても苦しかったに違いない。
病室を訪れると、突然の訪問に驚かれた様子だったが、いつも通り「来てくれてありがとう」と声をかけてくださった。
そして、「入院してほっとした」とも。
ご自宅では、僕らの前で気丈に振る舞っていらしたのだと痛感した。
僕はただうなずき、いつものように足をさすった。
呼吸は以前よりきつそうで、会話はほどほどに、部屋を後にした。
数日後の朝、ご主人から「妻が亡くなった」とのお電話をいただいた。
感謝の言葉も添えて。
―― 最期には立ち会えなかった。
訪問診療を始めたとき、「できるだけ在宅で最期を迎えられるように頑張ろう」と思っていた。
けれど実際に始めてみると、在宅での看取りを目指しても、必ずしも自宅で最期を迎えられるとは限らないことを知った。
そもそも、「できるだけ自宅で過ごしたいけど、つらくなったら入院させてほしい」という方もいる。また「自宅で最期を」と望んでいても、症状の変化のなかで「やっぱり難しいかも…」と考え直すこともある。
病状や症状だけではなく、患者さん・ご家族の思い、サポート体制、さまざまな要因が重なり合って、最期を迎える場所は決まっていく。
「入院してほっとした」
―― あの言葉は、本心だったのだと思う。
ギリギリまで自宅で頑張っておられたからこそ、心から出てきた言葉。
在宅で最期を迎えることが「正解」ではない。
病院で最期を迎えることだって、決して「間違い」ではない。
そう、僕たちの仕事は、あくまで在宅で穏やかに過ごせるよう支えること。そのなかで、ゴールを一緒に考えていくこと。
そのために勉強を続け、経験をして、いろんな引き出し・選択肢を持って、いろんな提案ができるようになることが、訪問診療医としては、大切なんじゃないかなぁ
なんて。
さあ、またぼちぼち頑張っていこう。


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