病院で担当患者さんがお亡くなりになったとき、その患者さんは「入院になったとき、もう一度家に帰るつもりだったんじゃないだろうか」「家でやり残したことはなかっただろうか」そんなことを思う。
在宅医になって、そう思うことが多くなったように思う。
在宅医は、患者さんの生活風景を知っているから。壁にかけられた家族写真、カレンダーに書かれた予定、立派なソファー、片付いていないテーブルに、まだまだ整理されていないであろう見るからにたくさん物が詰まっていそうな棚、そして、ご主人に寄り添っていたワンちゃん…
定期訪問していた患者さんが、急に入院となり、残念ながらそのまま帰らぬ人となったときは、もっと自分にできたことがあるのではないか、そう思ってしまう。
たしかに、どうしても急な変化が予測しがたかったり、そこまでの間にいわゆるACP (Advance Care Planning) がうまく進んでいなかったり、言い訳に聞こえてしまうかもしれないが、事情はある。
願わくば、そういった患者さんが、あるいは残されたご家族の方々が、「急なお別れだったけども、思い残すことはない」 そう思ってもらえれば、そう思える方々が少しでも増えていってほしいと思う。
患者さんの状態が悪化したとき、診療していると、患者さんの思いに加え、ご家族や医療スタッフ(訪問看護師やケアマネージャーや介護士ら…)、それぞれの色んな気持ちが交錯している現場に差し掛かる。家に居たい、家に居させたいという思いがある一方で、早く入院させたほうがいいという思いもある。医療スタッフ側でも、それぞれの立場で、それぞれの価値観があり、患者さんとの関りのなかで、それぞれが抱く思いが違うこともある。患者さんやご家族も含め(患者さんとご家族の意向が異なることもある)、それぞれの思いを踏まえつつ、もちろんそこに医学的な判断も重ね、在宅で診ていくのか、救急搬送し入院を依頼するのか、判断しなければならない。
状況によっては、自分の救急搬送の判断が、「家に居ることができる最後の時間」になるのかもしれない。
そういう思いをもちながら、入院を判断させていただいている。
90歳代の女性。
心臓弁膜症ベースの慢性心不全があって、歩行など軽労作でもぜえぜえなる状態。廃用も進み、夏の暑さも重なってか、この一か月ほど食事摂取量が減ってしまった。
多少の脱水もあり、在宅で点滴を開始していたが、残念ながら、食事摂取量も含め、目に見えた改善はみられない。老衰の経過とも捉えられる状態、少しずつ緩やかにお別れの時期が近づいてきている状態に思われた。
難聴もあり、やや疎通は図りづらいが、ご本人は「できれば、おうちに居たい、入院はしたくない」と。
キーパーソンの同居している息子さん、訪問看護師やヘルパーにも頑張ってもらい、なんとか自宅療養を続けており、このまま最期を自宅で迎えることができれば…と、僕は思っていた。
あるとき、息子さんからお電話をいただく。
「先生、もう家では看きれません。入院させてください…」
これまで頑張ってこられたことも十分分かっていたので、翌日、入院を手配した。
そう、こういうことは比較的よくあることなのだ。
よくあることなのだ…
よくあることなのだけど…
おかあさん、どう思っていただろう?
息子さんも頑張ってくれてたし、「入院は仕方ないよな」という思いはあるだろうけど、入院したら、もう家には帰れないかもしれないこと、おかあさんにはどこまで伝わっていたのだろう…
なんというか、この少しモヤモヤした感じを抱きながら、前へ進まなければならない。
これでよかったのだろうか。もっと自分にできたことはなかったのだろうか。
そんな思いを抱えながら。
モヤモヤが少しずつ晴れてくれるように…

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