僕は、自分が最期を迎える前に、できれば子供たち二人と奥さんに「ありがとう」と伝えて、ハグをして、そしてその時を迎えられたらいいな、と思っている。
子供たちや奥さんが、そこまでしてくれるかは分からないけれど、もしできたらね、ハグまでしてほしい(笑)。
何はともあれ、「君たちに出会うことができて本当に幸せだった」「ありがとう」ということを、きちんと伝えたい。
90歳代後半のおばあさま。
ここ数年は比較的安定して経過しており、同居している主介護者の娘さんも、「お母さん、100歳を目指して頑張ろうね。ずっと家にいようね」と、日頃から声をかけておられた。
そんなある日、おばあさまが発熱した。
当初はそれほど重篤感もなく、なんとか食事も摂れていたため、抗生物質と解熱剤の内服を指示し、経過を見守っていた。しかし、状態は時間単位で悪化していき、その日の夕方には酸素化も低下し、苦悶様の表情を呈していた。
往診に伺うと、すでにチアノーゼを示唆する身体所見もみられ、このままでは先が長くないことが予想される状況だった。
「できる限り在宅で、可能なら最後は在宅で」という娘さんの希望はあったものの、急激な状態変化を目の当たりにすると、入院加療との間でその思いは大きく揺らぐ。
娘さんには、どうしても自分の代わりがきかない大切な仕事も入っていた。家を空けなければならない事情もあった。悩みに悩んだ末、入院加療を選択された。
ただちに連携病院へ連絡し、救急搬送となった。
その2日後、おばあさまは亡くなられた。
目標にしていた100歳には届かず、希望していた在宅で最期を迎えることもできなかった。
入院先の病院から訃報の連絡を受けたとき、僕は、おばあさまや娘さんが後悔の念に駆られているのではないかと、胸が締めつけられる思いがした。
それから1週間ほど経ったある日、娘さんがクリニックにご挨拶に来られた。
少し涙ぐみながらも、おばあさまの最期の様子を話してくださった。
点滴が始まり、酸素につながれ、救急病床に入ってから、しばらくの間は傍にいることができたそうだ。そして、帰り際に、おばあさまが「ありがとう」と言われたという。
次に面会したときには、もう言葉を交わすことはできない状態だったそうだ。
突然の別れだった。もちろん、娘さんの心の整理が簡単につくはずはない。それでも、お葬式まできちんと済ませ、代わりのきかないご自身の仕事も全うしてこられたという。
「自分に、これ以上迷惑をかけないように、すっと逝ったんだと思います」
娘さんは、そう話された。僕も、そうだと思った。
最期の一言が、娘さんへの「ありがとう」だった。
入院となると、現実的にはずっと付き添うことはできず、必ず一度は離れなければならない。その離れるタイミングで、おばあさまは何かを感じ取っていたのかもしれない。自分が、もう長くないことを悟っていたのかもしれない。
在宅で最期を迎えることはできなかった。最期が在宅か、入院か、あるいはそれ以外か。在宅医療に携わる者として、それは確かに大切なことだし、こだわるべき点でもある。
ただ、それはあくまで「結果」だ。
その人が、その人らしく最期を迎えられたかどうか。
その時間に、後悔が少しでも少なくなるよう寄り添えたか。
それができたなら、それこそが在宅医の仕事なのだろうと、そんなことも最近僕は思うようになっている。


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